今回は11人参加という大きなグループになり、男性4人、女性7人。全員が日本人永住者でした。世話役はデスカフェ・ミーティングで「終活や死と生に関するワークを一つはやることにした」とのこと。世間話ばかりにならず、デスカフェらしくなるように、とのこと。
しかしもちろん、ワークをやった感想や、自由な話し合いが日本語でなんでも出来る場であることを、今後も一番大事にしていきます。
上記の質問が、新しい参加者さんからありました。デスカフェとは、死やグリーフについて何でも気軽に話せる場を提供しようとする、ボランティア・ベースの世界的な活動です。世話役のやのが作ったの??と言われましたが、いえいえ、デスカフェ活動自体はスイスの社会学者が作り、サイトで規約を守ると誓約して登録すれば誰でも始めることができるものです。
https://matome.naver.jp/odai/2142932583222963401
以下、引用です ↓
およそ10年前にスイスのヴィソワ村在住の社会学者、バーナード・クレッタズ(78)が妻の死を契機に、「死」についてカジュアルに話す会を開いたことが発端
いまやデス・カフェは世界29ヵ国で、のべ約1666回開催されている
死について語るカフェ…
そんなカフェが世界中で流行しているなんて…
この集会には誰でも参加することができる。レストランやカフェに集まった参加者たちは理想の死にかたや、過去の臨死体験から葬式まで「死」に関連するトピックについて、お茶を飲んだり、ワイン片手にナッツをつまんだりしながら語り合う
以前にも、いろんなイメージを絵で描いていただいたこともあったし、文章の時もありました。今回は欲張って、両方・・・!!
亡くなるときのイメージは・・・焦点がしぼられていく感じ。だんだん閉じられていく。ただ人生のなかで楽しかった、またダークサイドもあった、さまざまなカラフルな色が周囲に見えるような感じのイメージ。
ライトグリーンや黄色、キラキラしている草原のようなイメージ。小動物もいる平和な世界だと思う。
アバのI have a dreamという曲を先日聞いた。 その中で“I closed the stream. I believe in angel” と言っていた。西洋文化でも、亡くなるときには川を渡ると言うんだなと思った。今まで三途の河のイメージはあまりなかったけれど。亡くなった犬や家族に会うことができて、草原できれいなところだと思う。他の方(すぐ上に書いた方)とイメージが共通ですごい!!と思った。
(マッチのような手持ち線香花火のような絵)自分がここにいて、想いが昇華していく。枠ではなく開いたかっこの方がピンと来た。真っ白な雲の中で、何もないところで、次に何になるのか考えている。今の世である欲はまったくなくなる。死は全員に平等にくる。これで自分に合格点をあげようかなといった気持ちになるのではないか。
老人ホームで働いている。死をよく見る。毎日同じ場所でテレビを見ているお年寄り。こんな拷問はないのか?家族も来ない方が多い・・・。たくさんのことを思わされる。
青い芝生と空。「達成感」のようなものを感じると思う。
スマイル!スマイル!スマイル!生きるときは毎日、死ぬ時もきっと。
怖いのは、死のうと思っても死ねない状態。動けないのは辛い・・・。だから今楽しみきる。そのために働く。突然事故で死ぬのも怖くない。だけどカッコ悪くは死にたくない・・・。
心臓が止まって蘇生した経験がある。呼ばれた、三途の川みたいなものが見えた。心地よい感じだった。死ぬってこんなものなのかな、と思った。死ぬとき、耳は最後まで聞こえると言う。聞こえてても、本人は何もできない。自然にまかせるしかないといった究極の状態なのだろう。
子どものころ3つの夢があった。全てかなった。世界遺産の旅をしたときのきれいな風景を見ながら死にたい。また日本庭園を眺めているような静寂な体験だろう。
人と一緒にいた実感。たくさんした体験。すべて自分の中にあれば、それで良い。それを持って行く。
世話役のワーク。フォーカスが絞られていく。その周りに、たくさんのカラフルな体験や色が見える。
綺麗な山や自然の風景や、日本庭園にたたずんでい穏やかな気持ちでいる。
いろんなこともしたけど、憎めないやつだったな。やさしいやつ、助けてもらったな。音楽がんばったな。
ほんわかした人だったな。先だった人に会えてるから、よかったな、寂しさよりも。憎み合ってた人も、あの世では調和していたら良いと思う。
「やりたいことは全部やった!!」穏やかな笑顔の母と思われたい。
セルフ・コンパッションが大事。
亡くなるときも「自然体」でいたい。
自分の家族と社会に貢献できた!
50代くらいまでは老後のことを考えるきっかけがなかったが、10年位前にひとりになってから、将来のことを考えることになった。天に登っていく。家族や友人たちから慕われて亡くなりたい。私が人生楽しんだという
なるべく自分で生きて行く。家が汚かろうが。それが一番。
ホームによって、食事をケータリング会社に頼んでいるところの質は良くない。内部で調理しているホームの方が一般的には良い。3人いれば、月に何回かエスニック食を作る、そういう政府のスキームはある。
この国の老人ホームもピンキリ。5スターのナーシングホーム。・・・その違いは、ファシリティの良さか?レギュレーションがあるから。そうであるべきなんだけれど・・・。
年金で入れるナーシングホームももちろんある。
ナーシングホームでやはり日本食が食べたくなると思う。やはり家族かボランティア頼みか?注文で宅配してもらっりはできないのか?・・・安全のためにケトルもない。ティータイムだけ。外からのものを職員が温めることもない。→やはり日本食の調達は、家族か友人、ボランティア頼みか・・・。